仕事柄、昔オタクだった方と会う機会がある。
今のオタクと昔のオタクとは事情はかなり違い、その違いを聞くのが楽しい。
1980年代のファンクラブは各地に組織があり、横のネットワークなどもあった。
BABYMETALのメイト会みたいなゆるいものではなく、週に一回、河川敷などに集まり、コールの練習などをしたというから体育会的だ。
運営側もそういった元気のいいファンを重要視。
新人をデビューさせる時はファンクラブを作って欲しいと、他のアイドルの熱心なファンでまとめ役をやっていた人に声がかかったりすることもあったそうだ。
またその見返りという意味なのか、事務所に呼ばれて、そのアイドルが「お願いします」と挨拶。
写真なども一緒に取れたと当時の写真を見せられたこともある。
それが聖子ちゃんだったりするから驚く。
そういえば、その頃見ていた歌番組では、新人というのに、会場に既に熱心なファンが鉢巻きして大量にいて、手慣れたコールをしているのを見ることがよくあった。
私がお話した方は当時高校生。
「高校生じゃあ、そんなにあちこち行けなかったですよね?」と質問すると、遠征はお兄さんたちが車に乗せていってくれたり、カンパで電車代金を出してくれることもあったとか。
また宿泊もその土地、その土地のファンクラブのメンバーの人の家を泊まり歩いていたそうだ。
今、ファンクラブは成熟して、どこもそんなに変わらない運営になっているように思える。
一番のメリットはチケットの先行発売だろう。
ほとんどの場合は座席は先行発売された順番に前から割り振られる。
また先行を申し込めるということはチャンスが増えるということでもある。
どうしてもライブに行きたかったらファンクラブに入るしかない構造になっている。
昔はチケットぴあもなかったし、どうやってチケットを売っていたのだろう。
覚えているのはデパートなどにプレイガイドがあり、そこに直接買いに行くというものだ。
人気のチケットが発売になる時は徹夜組もいたと思う。
当時のチケットの販売の仕方の一部がわかるポスターがある。

矢沢永吉の1977年の広島で開催のライブのポスターだが、販売は因島にあるエキサイティングファンクラブの因島支部になっている。
多分、エキサイティングクラブというのは矢沢永吉がファンに作らせたファンクラブのようであり、全国な熱心なファンが支部を名乗っていたのだろう。
チケットはその支部に委託されて販売されていたということだ。
チケットぴあなどを利用できない規模のバンドやアイドルなどは今でも似たような感じなのかもしれない。


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